
成田〜ロサンゼルス〜マイアミ〜
トリニダードへ
ちなみにトリニダード・トバゴに出発する時期を夏に定めたのは、
アルバイトで稼いだ資金が貯まったのが夏だったからではなく、
ただ単に私があったかい時期にワクワク感が高まる気質だからである。
夏にトリニダードへ出発するぞ、というモチベーションがあったればこそ、
春先からアルバイトを何件も掛け持ちして頑張れてこられたのである。
出発の日、6月28日は梅雨の晴れ間で快晴だった。
成田空港でチケット発券手続きを済ませるとボーディングゲート脇から見える
待機中のマレーシア航空機に胸を躍らせた。何せ初めての海外旅行、初めての
飛行機への搭乗である。
当時の私は、船も飛行機も電車でも乗り物が好きであった。
飛行機にも最大の好奇心を抱いていたから、
その時の気分はワクワク感でいっぱいだった。
機内に乗り込むと入り口付近にトロピカルな紋様のスリムな
コスチュームを着た
スチュアーデスが客のチケットをチェックして、
あなたはこっちの通路、あなたはあっちの通路
とラフに案内している。機内は、彼女らがつけている
鼻を突くような香水臭で満ちていた。
自分の座席番号に腰掛けて一息ついていると、
隣に座っていた男性が話しかけてきた。
どちらまで?
トリニダードへ行くんです、と私が伝えると彼は驚くでもなく、
そうですか、私はロサンゼルスに帰るところです、と静かに答えた。
会社の同僚に日本酒のお土産を買ったらしく大事そうに手に持っている。
離陸体制に入ると、隣の彼は無口になり、目を閉じて、
何やら呪文?を唱えながら指を絡めると
両の親指をクルクルと交互に回し始めた。何が始まったのか、
と驚きしばらくその手を凝視していたが、
ああ、これは無事に離陸します様に、との思いを込めた願掛けだな、
と合点がいった。
機首が上がって上昇している最中も親指の回転は止まらない。
やがて水平飛行に移るとようやくその回転は終わって
彼は爽やかな顔で目を開けたのだった。
ロサンゼルス空港に着くとトランジットまでの
長い待ち時間が待っていた。
約3時間半、私は時差ボケの頭のまま空港の硬い椅子に
腰掛けてひたすら時間を潰して過ごした。
次の経由地のマイアミ空港までは、往年のパンナム航空だった。
機体は見るからに古びていて、機内は何故かチーズが
腐ったような臭気に満ちていた。
おそらくシートや薄茶のブランケットに体臭が染み付いているのだろう。
スチュアーデスの態度は素っ気なく機内サービスも
ぞんざいな印象だった。
乗客のほとんどが白人で、皆一様にパステルカラーの
ポロシャツにハーフパンツ姿だった。
マイアミ空港に着くと次のBWIAへの搭乗までは、
およそ5時間もあった。
疲れ果ててはいたが、いよいよ次の便でトリニダードに行くのだ、
と思うと
感慨深くなり心が躍った。
夜10時頃にボーディングが始まった。乗り込む客のほとんとが
当然ながら黒人だった。
これも当然ながらその中に東洋人は私一人だった。
皆故郷に帰るので嬉しいのだろう、機内は賑やかだった。
午前4時半頃に中小型機BWIAはトリニダード島Piarco国際空港に着陸した。
また、夜も明けやらぬ朝まだき、眠そうな乗客がぞろぞろと
出口ドアから階段をそそくさと降りて通路を渡り、
順々に入国審査場に入った。
しかし、国際空港とは名ばかりの古めかしく簡素な
コンクリートむき出しの審査場だった。
駅の改札風のゲートに審査官が居てパスポートをチェックしている。
ビザ印を確認するとクレオール(混血)の審査官は横柄な顔つきのまま
ポイっとパスポートを私に押し付けた。
ポートオブスペインはどっちに行けばいいでしょうか?
との私の質問には、小馬鹿にする様に ”あっちだ!”と適当にあらぬ
宙を指差して答えた。
さて、なんとかして首都まで行ってまずは宿を探さなくては、
とウロウロと歩き回って
いると、茶とベージュでデザインされた子美麗な制服を着た
保安官らしき長身の男が近づいて
来た。事情を話すと、”それならタクシーがいい”と言いタクシーが
列を作っている場所に連れて行ってくれた。
一番前に止まって客待ちしていたタクシーに乗車して、
ポートオブスペインの安いホテルに連れて行ってください、
と告げると小柄な気の良さげな黒人のおじさんは、OkOkと頷いて車を走らせた。
さとうきび畑を両側に見ながら、やがて首都らしき雑踏を抜けて
大きな広場の脇道を登ると小さいながらも瀟洒な白い建物の前で停まった。
“ホテルはここだよ” おじさんは、私を車内に置いて車から
降りて中に入っていった。
ここは安くないだろう、と躊躇したが、仕方なく彼を追う様に
私も入り口をそそくさとくぐった。そこは、ホテルというよりも
コテージといった作りのちょっとおしゃれな宿だった。
運転手のおじさんは宿主らしき太ったおばさんと知りあいらしく
何やら談笑している。とりあえず一泊したいのですが、
とおばさんに言うと “Ok”とにこやかに笑って答えた。
”どこから来たの?”
日本です。スティールパンが好きで来ました。
”あら、それは素晴らしいわね”などと話に華を咲かせていると、
”タクシー代を払って!”とおじさんが急かすように割り込んできた。
メーターなどないので、おじさんの言い値を支払うと。
”今はお釣りがない”と言い張って来た。
それは困るよ!と言い返したが、宿のおばさんは、
微笑しながらゆっくり首を横に振りながら”諦めなさい”
と私に目配せした。
入り口は2階で部屋は一階にあった。ダイニング脇の階段を降りると
大きなプールが目に入った。
プールには全く興味が無い。案内されたのはシャワールーム付きで掃除の行き届いた、
勿体無いくらいのお部屋だった。一泊朝食付きで¥3,500-。
その時の私には予算オーバーだったが(今思うと安い)
流石に20時間以上の旅を続けてきたのでとにかくベッドで
休みたかったので我慢した。
シャワーを浴びてベッドでうとうとしていると、
外からテレビの爆音が聞こえてきて起こされた。
ちょうど部屋の外のプール脇の天井からテレビがぶら下げてあり、
サッカー中継を大音量で誰かが見ているらしい。
外に行ってみると若い男がリクライニングチェアにのけぞって
頭の後ろに手を組んだままじっとテレビを観戦している。
(当時は興味がなかったがW杯の中継だった)
もうちょっと音量を下げてくれないかな?
と告げると、こちらも見ないまま、僅かながら音量を下げてまた
無言で観入っている。
ヘトヘトに疲れていた私は、それ以上彼に抗う気力もなく、
ティッシュペーパーで耳栓を作ってベッドに戻った。
翌朝、だいぶ疲れも取れて元気になった私は、
また今日もサッカーを観ている若者に話しかけてみた。
彼はレニーという名前でこの宿のプール掃除を任されているらしい、
こうしてサボっていると
2階から”レニー!”と叱責の大声が飛んでくる。
私は、スティールパンが好きで日本からやってきたことを告げると、
彼は急に目を輝かせて
“だったらカンフーをみせてくれないか?”とせがんできた。
トリニダードではカンフー映画が流行っているらしい。
カンフーは中国で日本は空手だよ、と教えると、”Oh! 空手”と叫んで
真似事をしてみせるので
、私も調子に乗って我流の空手の型を演じてみせた。
それだけでは場がしらけてきたので、私はプール脇の芝生で
前方展開をしてみやることにした。日本の空手とは全く関係ないが、
ちょっと派手なパフォーマンスをして彼をもっと驚かしたくなったのである。
行くぞ!と助走をつけて小走りに走り、さっと両手を地面について一回転してみせた。
案の定、彼は小躍りして喜び、”空手!”と叫びながら私を尊敬の眼差しで見つめるのだった。
tトリニダードに来た主な目的は、スティールパンの製作工房を訪ねたり、スティールバンドの練習場(パンヤード)にも行ってみたいという事だったのだが、毎日、見るもの聞くもの
全てが新鮮で面白くて楽しくて、街歩きをするだけで満足してしまった。
その日も目的もなくポートオブスペインの街を歩き回っていると、遠くからスティールパンの音色が流れてきた。音の方角に歩みを進めると、Carib Tokyo Steelbandと書かれた簡素なトタン板の建物があった。いわゆるこれがパンヤード(バンドの練習所)だな。ドラムスのリズムに合わせて高音のメロディラインと中低音のコードが流れてくる。
壊れかけのドアを開けて中に入ってみると、即座にバンドのメンバーが
私に気づいて寄ってきた。皆、突然の東洋人の登場に好奇心でいっぱいだ。
"どこからきたんだい?"
日本からさ。
"日本からわざわざトリニまで?なぜ?"
スティールパンが好きだからさ。
"Oh Maan,それはすごい、まあ中に入って見学してきなよ"
中には、今練習していた数台のパンの他にソプラノからベースまでの無数の
スティールパンが壁際に堆く積まれていた。
"パンを弾いたことはあるのかい?"
いや、一度もないよ。
"じゃあ教えてやるよ"
と一人の若者が私にテナーパンを使って簡単なメロディーラインを教えてくれるが、
音階の場所がバラバラで俄には覚えられないので、いつまで経ってもメロディーにならない。
"それじゃあ、こっちにするか"と、音盤の少ない中低音のパートを教えようとするが
ドラム缶が3つもあって、これまた音階の位置が覚えにくい。
皆が奏でる曲に合わせて何度も練習すると、なんとかコード進行を覚えてきた。
"よし、これならOkだな、今夜のギグ(ちょっとしたライブ演奏会)に出なよ!
ここで7時からだ"
えっマジで!でもやってみようかな?トリニダードに来て直ぐにバンドデビューなんて
ちょっといいじゃないか。
随時、加筆修正します。
次につづく〜