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"Coup"
Trinidadからの脱出

いろいろあったけど、なんだかんだでトリニダードでの日々も今日で終わり、

早くも明日は帰国日か、と少々感傷的になりながら

首都ポートオブスペインの街の喧騒を眺めつつフラフラ散策していると、

突如、”パンッ、パンッ”という

炸裂音が近くで何回か鳴り響いた。んっ?この音はどこかで聞き覚えがあるぞ、、

そうだ、映画で聞いたことのある、

あの乾いた火薬音と称されることの多い本物の銃声だ、間違いない。

私は、何故か即座にそう確信した。

間髪を開けずにまたその銃声音が数回鳴り響いた。

ギャングの抗争でも始まったのか?

辺りを見回しても通りを忙しげに行き交う市民達は

全くこの音に気づいていない様子でいつもと変わらぬ日常がそこにはあった。

私の聞き間違いなのか? 否、やはり空耳ではなかった様で、

私の周囲の5、6人の市民が同じく辺りを警戒して見回している。

その集団に近づき、何が起こってるんだ?と聞いてみたが皆、

一様に首を振ってにやけながら”わからない”と言う。

その集団と共に街角に身を屈めつつ、銃声が聞こえてくる方向を見定めた。

その方角の奥に目をやると、街の中心部にある大きな公園の植え込みや

地面に迷彩服姿の兵士何人かがうつ伏せ状態のまま自動小銃を

構えているのが見えた。

ん~~これはただことではないぞ、突如起こった事件の目撃者、

いわばジャーナリストになった様な気分で

しばらくその場で野次馬連中と情勢を窺っていた。

すると右手から一台のパトカーが不自然なほどゆっくりと

自分達のいる街角に左折して来た。巡回かな?と動きを目で追っていると、

おもむろに運転席の警官が我々に向けて素早い手つきでピストルを構えた。

打たれる!

と感じたその瞬間、私を含めた野次馬達は申し合わせた様に

くるりと反転し滑稽にも全員パトカーに尻を向けた。

身の危険を感じると自然に腹側を守るのは本能の成せる術だ。

しかし、よくよく思い返すと、警官は薄ら笑いを浮かべていたし、

構えたピストルの銃口は下に向けられていたので、単純に威嚇だったのだが、

冗談にしても不穏だ。

 

その後も興味津々で動静を観察していたのだが、ドゴーーんっ 

と大地を揺らすかの様な鈍く太い音がその場の空気を激しく震わせた。

爆弾でも落ちたのか!?

この突然のハプニングをドラマでも観覧するかの如く楽しんで見ていた

私と現地の野次馬連中も流石にこの爆音にはビビった。

全員、蜘蛛の子を散らすかの如く一目散にその場から猛ダッシュで離れ去った。

もちろん私もこの連中に遅れを取らないように全速力で

そこから逃げた。

無我夢中で100mは走っただろうか、我に返り後ろを振り向くと

そこにはもう自分以外誰もおらず、とてもバツが悪かった。。。

すぐさまま野次馬連中がいる最前線?に戻り、

この白昼の銃撃戦の観察を続けた。

しかし、正に白昼夢かの様な不思議な光景だった。

目の前の公園では、銃撃戦が展開されているのに、

それに気づいているのは、自分を含めた数人だけで、

大通り広場を見遣ると、なんら普段と変わらないポートオブスペインの

日常の喧騒がそこにあるんだから。トリニダード市民みんなに

早くこの緊急事態を気づかせなければ、と思うのだが、

その場を離れるとどこからからの流れ弾に当たるんじゃないか、

そうなると遺体確認に家族をこんな遠いカリブ海の島まで

来させてしまうことになるんだな、と真面目に危惧してしまう。

この旅のお土産にと購入した直径40cmくらいのおもちゃの

スティールパンを盾としてお腹に当てがいながらじっと身を

身を屈めて状況を窺うしかない。

 

いつまで経っても情勢がよく掴めないので、

私はその場を離れて街中を歩き始めた。

やはりどのストリートに行っても普段と変わらぬ日常風景が拡がっていた。

トリニダード滞在最終日ということもあって、そのまま日暮れまで街を

徘徊して過ごした。

薄暗くなって来たのでそろそろ宿に帰ろうかと思い、

Independence Square付近の乗合バス(Maxi Taxy)

乗り場に向かっているとココナッツの実をトラックに積んで

売っている男が私を見るや、”お前は早く宿に戻ったほうがいいぞ、

さもなけりゃ、こうなるぞ!” と自らの首を立てた親指で切り裂く

ジャスチャーを見せた。

やっぱり、これは只事ではなかったんだな。”ほら、あれを見ろ!”

と男が指差した方を見ると街のあちらこちらで高い炎が上がっている。

いわゆるバーニング&ルーティング、商店への焼き討ちと略奪だ。

早いとこ、ここを退散しよう。その時の私は、インド系トリニダディアンの

家の敷地内にある6畳ほどの

母家を借りていた。そこはPiarco空港近くののどかな田舎で

ポートオブスペインからは20kmほど離れていた。

急いでバスに乗り込んで一安心と思いきや、焦っていて乗るべきバスを

間違えたようで終点に着いても周囲に見覚えがない。

というよりも真っ暗でどこにいるんだか良くわからない。

運転手に事情を説明すると空港とは反対方向に来ているという。

運転手は、唇に人差し指を当てながら、

しばらくの間、流れてくるラジオに耳を傾けると、

”今、全土に外出禁止令が発令されたぞ”と私に告げた。

親切な運転手は、空になったバスで私を宿のある空港近くまで

送ってくれた。

 

なんとか宿のある家に着くと、夜遅くまで帰って来ない私を

家の住人が心配して待っていた。

そして無表情で素っ気なくこう言い放った”あなたは明日帰れないよ” 

どうして?

空港が封鎖されたのよ、とインド系住民のアイオラおばさん。

何が起こっているのか、家のテレビで見せてくれない?

“あ~それがダメなのよね~、昔ドイツ人を家に入れたら物を

盗られたことがあるのよ、

だからあなたも家には入れられないわ”

軽く怒りを覚えたが、この緊急事態にこういうことを平気でいう人を

相手にしても埒が開かない、と判断し

母家に入りベッド脇のラジオで情報を収集することにした。

雑音だらけで良くは聞き取れなかったが、どうやら国会議事堂に

100人くらいのモスリム団が押し入って首相や閣僚を

人質にして立て籠ったらしい。

しばらくするとアイオラおばさんが母屋のドアをノックした。

“明日の早朝に夫が空港まで送ってあげるわ、様子を見に行きましょう”

了解。ありがとう。

なかなか親切なところもあるじゃないか、

でもやっぱりテレビで生の情勢を見たかったな。。。

 

翌朝、一家に一応の別れを告げると、眼鏡をかけた2人の娘らが

私の行く末を心配するどころか不謹慎にもこう言い放った。

”日本に着いたらSeikoの腕時計を送ってくれない?”

“私にはカセットテープレコーダーね”

ノートに住所を書き込んで切り離し、私に渡した。

わかった、送るよ。と呆れ顔で答える私。

そんな別れのシーンを静かに見守っていた、

両の腕と胸に大雑把で太い刺青を施した筋肉質の夫が

無表情のまま首をちょいと傾けて、トラックの助手席に乗れよ、

と私に合図した。

空港に近づくと軍用ジープや自動小銃を肩から下げた軍服姿の兵士たちが

目に付いた。駐車場に停車すると兵士が寄ってきて、"何しにきたのか?"と

尋ねてきた。事情を説明すると、"分かった、早く行け"と緊張した面持ちのまま

首を捻って合図した。私は不穏な空気を肌身で感じながら、空港のオフィスに

向かおうと車を降りた。少し離れた所では5、6人の若者が仰向けに寝かされ、

​数人の兵士に銃口を突きつけられたまま手荒いボディチェックを受けている。

犯人グループの国外逃亡を防ごうというのか。

建屋に入り、私が乗る予定のBWIA航空のカウンターにゆくと事務員たちは

皆出払っていた。

運航表示板をみると、乗る予定の便名の横にはCanceledとの

表示になっている。他の便も全てキャンセルだ。

やっぱりダメか〜

私は、文字通り途方に暮れた。

ようやく見つけたBWIAの職員は、このチケットはもう無効です。

運行が再開したらチケットを再購入しなさい、と主張する。

残金はもうほぼ無い。

また、あのインド人一家の母家のラジオで情報収集しながら情勢を

伺うしか無いのか。

飛行機が来ないんじゃどうしようもない。

仕方なく、刺青父ちゃんのジープに乗って母屋に戻ることにした。

"翌朝も空港に行って様子を見に行こう" と、助手席で落ち込んでいる私に向かって

父ちゃんが言ってくれた。この言葉はとても励みになった。

翌早朝、父ちゃんのジープで再び空港に行ってみた。

相変わらずBWIA航空はキャンセル状態のままであった。

​再開の目処は立たないという。

しかし、初めての海外旅行でこんな事態に遭遇するとは。

おそらく明日空港に来ても状況は変わらないであろう。

どうしたものか。。。

軍人が行き交う非常事態化の空港内の片隅で私は一人思案を巡らしていると、

​「そうだ、日本大使館に電話して打開策を相談しよう」と思い付いた。

日本大使館には、5日ほど前に航空チケットの見方を教えてもらう目的で

訪ねて行ったことがあった。

大使館のインターフォンを鳴らして、日本から観光ビザで来ました。

と告げると、ジャマイカなら分かりますが、何故トリニダードに来たのですか?

とあからさまに訝しげな口調で問うので、スティールパンが大好きなので

その発祥の地に一度来てみたくなったんです、と伝えると

疑問が解けた様子で、門の電子施錠を解除して私を館内に招き入れてくれた。

そして職員一同、この珍客の来訪を快く歓待してくれた。

私は、電話帳を片手に受話器を取って藁をも掴む気持ちで大使館に電話してみた。

 

​私が空港で足止めされていることを知ると、応対した職員はとても驚いていた。

"えっ!園部さん、まだトリニダードに残ってたんですか?

いや、帰りたくても私の乗るべきBWIA航空が2日経ってもキャンセル状態なんです。

"Pannamは動いてますよね?

そのようです。

それならばBWIA航空に掛け合って、お手持ちのチケットを

今現在運行しているPannam航空に乗れるように書き換えてもらってください。

航空会社を書き換える?そんなことができるんですか??

政変という理由でBWIAの事務所に掛け合ってなんとか交渉してみてください。

私は即座に、この一縷の望みに賭けて、BWIA(通称ビーウイー)の事務所に

掛け合ってみることにした。

忙しく立ち回っている女性職員を呼び止めて、とても困り果てているという表情を

造ったまま陳情してみた。​

するとだ、私の拙い英語を聞き終わると、彼女は躊躇することなくこう言った。

"はいはい分かりました。、あなたは、まずこのチケットでビーウイーの次の便

に乗ってください。あまり時間がないから急いでね。

そして隣のバルバドス島(バーベイドス)で降りること。そこからならPanamが

就航しているからマイアミまで戻れます。とにかくバルバドス空港に着いたら

直ぐにパンナムオフィスに行って既に有効期限が切れているこのチケットを

有効になるように交渉してください"

そして私のチケットに胸に差していたボールペンでPolitical Crisisと

走り書きすると "はい、早く出発ゲートに向かって!"

と私を背中を軽く押しながら促したのだった。

程なくして私を乗せたローカル航空ビーウイーはトリニダード島を

勢いよく飛び立った。

これじゃあまるで脱出だな。とにもかくにも先の情勢が読めない

トリニダードから出国が出来たことに私は心底安堵した。

そして、眼下に広がる田園風景を眺め遣りながら、駐車場で私の帰りを待っているであろう

刺青父ちゃんのことを想った。

さよなら父ちゃん、さよならトリニダード、さよならお世話になった人たち。。。

30分くらいは乗っただろうか、飛行機は機種を下げ始めた。

もう降りるのか、このままマイアミまで行ってくれたらいいのに、

そんな私の切なる思いも虚しく、ビーウイーはバルバドス島に着陸した。

搭乗客達はそれぞれ自分の家に帰るのであろう、Domesticゲートの列に楽しげに

並んでいるが私は一人寂しくVisitor窓口だ。

税関で事情を話すと、今日のパンナム便はもう来ないから、明日また空港に来なさい。

今夜はどこのホテルに泊まるのか? そのホテル名を教えなさい。

あと、今晩の宿泊費に見合うだけのバルバドス紙幣を私に見せなさい、

と矢継ぎ早に捲し立てる。なんなんだ、この態度は!

ホテルになんて泊まる余裕はない、今夜はここに泊まる、と言い張ると
職員は激昂して怒鳴った、空港になんて泊まれないよ!

あなたは市街のホテルに行くしかない。

早く換金所に行きなさ〜い!とのたまった。

同情心など一切無しの女性税関員の態度には怒りを覚えたが、

ここで押し問答してても始まらないので​、手持ちのUS$をわずかに

バルバドス紙幣に替えて適当にその場を誤魔化し、

とにかく空港の外に出た。

私はすぐさまPannam航空のオフィスに駆け寄って隣国トリニダードで

起きたクーデター騒ぎからやっとの思いで脱出してきたことを事務員に

説明した。

そして、手持ちの有効期限の切れたパンナム航空マイアミ行きの

チケットを見せて、政変という理由で有効にしてもらえるように

援助を求めた。

しかしだ、事務員達は渋い表情で、"それはできないな、

新しくチケットを買い求めてください"と言い張るのだった。

ここは一歩も引き下がることは出来ない。BWIAが書き換えた様に、

パンナムも同様に特別な措置を講じるべきだ。

私は、2人の若い職員を前に少ない語彙を絞り出しながら訴え続けたが、

ロスにあるパンナム事務所のマネージャーからも電話越しに新規チケットの

購入を求められる始末。。

そして1時間くらい押し問答が続いたであろうか、職員の一人が電話帳を

取り出してきて何やら調べ始めた。どうやらこのまま聞き分けの無い私を

相手に交渉し続けても埒が開かないと判断したらしく、

バルバドス在住の日本人を介して交渉を続けるつもりの様だった。

「しかし、融通の効かない会社だ」

(道理でこの数年後に潰れるわけだな)

繋がった電話口から久しぶりに日本語が流れてきた。

斉藤由美子さんという現地在住の邦人女性だった。

"何とまあ、大変な目に遭っちゃいましたね〜〜、

なんとか交渉してみましょうね"

その優しい言葉で安堵感に包まれた。

その後、由美子さんを介しての交渉が2時間くらい延々と続いたが、

結局パンナム側が折れる形で決着がついた。(長過ぎる!)

パンナム職員の男に有効期限の切れた私のチケットを渡すと、

チケットの余白にPolitical Crisisと走り書きしたのだった。

こんなんで本当にいいのかな?とやや疑問ではあったが、

とにかく明日の一番早い便の搭乗口に並んでキャンセルがあるかの確認

をしなさい、というので、今晩は空港のベンチで一夜を明かすことにした。

空港の中のソファに腰を下ろして時間を潰していたが

夕刻になると締め出されてしまった。

仕方なく空港施設の外周に等間隔で設置されているお粗末な

ベンチに荷を下ろして佇んでいると、どこからか肉の焼ける匂いが流れてきた。​

早朝にアイオラおばさんが作った簡素な朝飯を食しただけだったので

急にお腹が減ってきた。

薄暗くなった周囲を見回すと、小高い斜面に青色のトタン板で囲われた

小屋が見えた。どうやらそこが匂いの元らしい。

駆け上がってみると一応看板が掲げてあり、Fried Chickenとだけ

手描きで書かれている。

中を覗いてみると手作りのカウンターが設けてあり、坊主頭の黒人男性が

無言でこちらを見ている。

カウンター脇には、Fried Chiken $15と書かれた小さなボードが

吊られていた。

$15となると¥1,200-くらいだ。結構高いな、と思ったが他にお店など

ないのだから仕方ない、と割り切ってフライドチキンを一つ注文した。

しかしだ、その男性は待てど暮せど奥の厨房に入ったまま戻って来ない。

30分くらいは待ったであろうか、やっと戻ってきた男性の右手には

薄青いビニール袋に入れられた鶏一匹の丸揚げが握られていた。

袋を持つとチキンは触れないくらい熱かった。

ビニール袋が溶けるんじゃなかろうか。

しかし、丸揚げとは驚いた。道理で値段が高い訳だ。

ベンチに戻ってしばらくしても丸揚げチキンはなかなか冷めてくれない。

空腹に耐えられずに恐る恐る指で摘むが熱すぎて火傷しそうだ。

フォークでも貰って来ようかと思ったが、そんなサービスを用意している

店ではなさそうだ。それでもなんとかひとつまみちぎって食してみた。

なんら味付けなどないが、今日初めての食事なのでとても美味しかった。

夜が更けてくると背中に自動小銃を背負った兵士らしき出立ちの

空港警備員が周囲を巡回し始めた。

私は、うら寂しい空港のベンチでボストンバッグを枕にして

横になり、うつらうつらと朝が来るのを待った。

翌朝になり、6時頃から空港の屋外に設けられたパンナムの

搭乗受付カウンターにチラホラと人が並び始めた。

7時になると長い行列が出来たので、

キャンセル待ちが出ることを願いつつ私も最後尾に並んだ。

ヤキモキしがら待つこと3、40分、やっと私の番が来た。

キャンセルシートはありますか?

職員はすぐさま、一席あります。チケットを見せて。

私は昨日、パンナム事務所の職員にPolitical Crisisと走り書きされた

チケットを見せた。

Ok!これがあなたのボーディングパス、時間がないわ、

早くそれを持って飛行機に乗って!

どの飛行機だい?

あの飛行機よ! とエンジン音を唸らして駐機している

今にも動き出しそうな小型機を指差した。

バルバドス紙幣を換金する時間がないのが悔しかったが、

とにかくその飛行機目がけて全速力で走った。

飛行機はお尻の部分から直接タラップが降りていて

そこから機内へと入る作りだった。

案内の黒人女性が早く入りなさい、と手招きしている。

​機内に入ると黄色と緑でデザインされたユニフォームを着た

若者たちが​

椅子にも腰掛けずに騒いでいた。背中には背番号とJAMAICAと

書いてあった。どうやらジャマイカのサッカーチームらしい。

その騒々しくも朗らかで賑やかな雰囲気は私の心は和ませた。

​皆がシートに落ち着き、機内アナウンスが静かに流れ、ゆっくりと

滑走路に移動すると飛行機はマイアミに向けて離陸した。

​数時間のフライト後、マイアミ空港に着いた。

この後はマレーシア航空との交渉が待っているが

かなり日本に近づいた事で心は弾んでいたので

空港の税関ゲートの長蛇の列に並んでいても苦ではなかった。

そして私の番になった。"バッグを開けなさい"と税関員。

"Please" 私は嬉々としてバッグのチャックを開けた。

"What's this !?"とビックりした表情の税関員。

それもそのはず、そのバッグには昨日買った丸揚げチキンが

入っていたのだから。

"What are you going to do with this chicken?"

このチキンはどうするつもりなんだ?

私は、動揺しつつも咄嗟に思いついてこう答えた。

Eat by myself.

すると、その職員は、 ”Ok”とだけ言って、すんなりゲートを

通過させてくれた。

こんなんでいいんだ。

 

2時間ほど待って、次の中継地パンナム航空ロサンゼルス行きの便に搭乗した。

ロスに着くと、その足で今度は、マレーシア航空のカウンターに向かった。

期限切れになっている成田行きのチケットを有効にしてもらわなければ

ならない。ここでも揉めることになるんだろうな〜、と危惧したが、

何故かあっさりと有効なチケットに書き換えてくれた。

それもそのはず、空港のショップで売られていたロサンゼルスタイムスの

一面を見て納得した。

Trinidad Coupの大きな見出しと共に、犯人らしき男が兵士に銃を突きつけられたまま

両手を頭の後ろに組んで建物から投降する写真が掲載されていたのだ。

やはり、この政変はアメリカでも大きく注目されていた。

まだ続く。。。​​​​

​​随時、加筆修正します。

 



 

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