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about Me.

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Pan tuner : 園部良/Ryo Sonobe

Brief History

 

​端緒(Steelpan)  Pic.1   Pic.2

10代の終わり頃、ふとした出会いがきっかけで、当時はとても珍しかったスティールパン

(ハンドパンの原型)の輸入レコードを聴く機会がありました。

その摩訶不思議な澄んだ美しい音色が、錆びついたドラム缶から生み出されるという

対照に一瞬で心を奪われ、スティールパンを自分でも製作してみたい、という

ワクワクした思いを心に抱く様になりました。

 

10代~20代にかけてよく聴いていた音楽/ 国内 : 高橋ユキヒロ、坂本龍一、プラスティックス、

大瀧詠一、コンセントピックス、じゃがたら、割礼、登川誠仁、初期のエレカシ、などなど

/ 海外 : TalkingHeads, BigAudioDynamite,PinkFloyd,KingCrimson,TheSmiths, TheSlits, Nico, Tom Waits, TheJames, NickCave,CocteauTwins,V.Underground,Traffic,RobertWyatt, L.K.J.,Bob Marley, PrinceFari, MassiveAttack, BrigitteFontaine, LoungeLizards, AlbertAyler, FENから流れて来た様々な音楽, 世界の民族音楽など

 

18頃から20歳頃によく読んでいた本 : 大江健三郎、三島由紀夫、藤原新也、などなど

18頃から20歳頃よく観ていた映画 : NYカルトムービー群,デイヴィッドリンチ,

ジムジャームッシュ,ルイマル,ヴィムヴェンダース,アレハンドロホドロフスキー,エリックロメールなどなど

渡航(Steelpan)  Pic
世はバブル経済絶頂期でしたが、当時の私は、その浮かれた世相に馴染めずに

陰々滅々とした大学生活を送っていました。

そんな虚しい日常から脱出したい思いで、

'90年の夏、現地情報は皆無でしたが、思い切ってスティールパン発祥の国である

カリブ海南端の小島トリニダード&トバゴ共和国へ行ってみる事にしました。

しかしながら、クーデター勃発により一ヶ月の滞在で敢えなく帰国の途に。

 '92年の春、メキシコ〜グアテマラ滞在を経て再びトリニダードへ渡航。

トリニダード滞在中は、スティールパンの製作方法を学びたい一心でひたすら

パンチューナー(スティールパン製作人)の工房を訪ね歩きました。

行く先々で煙たがられ、何度も門前払いを食らいましたが、(半ば無理やり)

とある工房の見習いにしてもらい

一連の手ほどきを受けることは叶いました。

帰国後、日本初のパンチューナーになることを目指して何度もスティールパン

製作を試みるのですが、どうしても思い描く様な音が出て来ません。

思い悩んだ挙句、楽器が作れないならば、現地で培った人脈を頼って

スティールパン輸入販売業を始めてみてはどうだろうか、と思いつき、

'92年の暮れにスティールドラム専門店 "PAN RISING"を起業しました。

転機 (Steelpan)  Pic.

'94年の春、とある高校の吹奏楽部から大量の注文を受けたのですが、

現地トリニダードから送られてきたSteelpanのほとんどは不良品でした。

交換品を再注文しても送られて来る商品は、輪を掛けてひどい不良品という始末。。。

あらゆる方面から交換品を取り寄せ続けて一年余りが過ぎ、予算も全て使い切った頃、

この不良品を直せる人物を呼んでみてはどうか、という提案が学校側からありました。

どうしたものかと迷いましたが、この渦中に偶然知り合ったトリニダード出身で

当時、宮崎県に住んでいたスティールパンプレイヤーのMannish相談してみた所、

彼からDenzil"Dimes"Fernandezという腕利きのパンチューナーを紹介されました。

ほどなく来日したDenzilは、すべての不良品を完璧にリチューンしてくれて、

このトラブルは無事解決することが出来ました。

その見事な仕事ぶりに感動した私は、迷わず彼に師事することを決めました。

翌日からは自宅の玄関の上り框を取り外して作業場に変え、彼からスティールパンの

チューニング理論を実技を交えながら本格的に学ぶことになリました。

以降、​千葉(八千代)〜 神奈川(藤沢、相模原)と工房を移転し、2008年からは

東京都大田区拠点を構えてスティールパン製作販売/修理業を続ける。

 

'99年 '05年、香港の私立小学校(何壽南小學)からの招聘を受け

スティールパンのチューニングに赴く傍ら

現地のドラム缶を使ってスティールパンを製作する。Pic.

'01年、お台場MegaWebにて自作のスティールパンが展示される。

'02年、国立台北芸術大学 (TNUA)からの招聘を受けスティールパンの

チューニングに赴く傍ら現地のドラム缶を使ってスティールパンを製作する。

('24年、ハンドパンを納める F Equinox)

''00年〜 茅ヶ崎市にあるアレセイア湘南中学校

非常勤講師となり、足掛け14年間に渡り

スティールパン製作の授業(総合授業)を担当する。

 

'11年 大田の工匠100人に選出される。

 

 

2度目の転機 (Handpan)

2012年夏、広島大学 生物生産学部の櫻井教授から突如一本の電話があり、

鉄板を使用して特定周波数の振動実験をしてくれないか、という研究依頼がありました。

手渡された設計図を見た時、私は少なからず驚愕しました。あろう事か、

それはハンドパンのフォルムに極似していたのです。

その日以降、大学機関から研究費を頂きつつ、ひたすら鉄板の振動実験をするという

日々を過ごす事になり、非整数倍音という未知なる世界にどっぷりと浸かることに

なりました。関連本 : 音律と音階の科学(小方 厚)

時を同じくして、櫻井教授が主宰する植物から生まれた音階を実現する楽器

開発グループにも加わえて頂くことになりました。ポリゴノーラ

以降、コアメンバーとして2022年現在も陰ながら携わっています。

(メンバーの一員である灰野敬二さん曰く、ポリゴノーラこそは僕の為の楽器です、と)

​この経験が大きな契機となり、2014年からはスティールパン製作販売業務は

完全廃業し、ハンドパン製作業へ完全にシフトして現在に至っています。

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