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Handpan Tuner : Ryo Sonobe / 園部良

端緒(Steelpan)
10代の終わり頃、ふとした出会いがきっかけで、当時はとても珍しかったスティールパン
(バンド)の輸入レコードを聴く機会がありました。
その摩訶不思議な澄んだ美しい音色が、錆びついたドラム缶から生み出されるという
好対照に一瞬で心を奪われ、スティールパンを自分でも製作してみたい、という
ワクワクした思いを心に抱く様になりました。
渡航(Steelpan)
'90年の夏、現地情報は皆無でしたが、思い切ってスティールパン発祥の国であるカリブ海
南端の小島トリニダード&トバゴ共和国へ行ってみる事にしました。
( '92年には、グアテマラ滞在を経て再びトリニダードへ)
滞在中は、スティールパンの製作方法を学びたい一心でひたすらパンチューナー
(スティールパン製作人)の工房を訪ね歩きました。行く先々で皆から煙たがられ何度も
門前払いを食らいましたが、何とか、とある工房の見習いにしてもらい、一連の手ほどきだけは
受けることが出来ました。
帰国後、日本製のドラム缶を使用して何度もスティールパン製作を試みたのですが、
どうしても思い描く様な音が出て来ません。
思い悩んだ挙句、楽器が作れないならば、現地で培った人脈を頼ってスティールパン
の輸入販売業を始めてみてはどうだろうか、と思いつき、'92年の暮れにスティールドラム専門店
"PAN RISING"を起業しました。
転機 (Steelpan)
'94年の春、とある高校の吹奏楽部から大量の注文を受けたのですが、現地トリニダードから
送られてきたSteelpanのほとんどは不良品でした。
交換品を再注文するも、届く商品はこれまたひどい不良品という始末。。。
あらゆる方面から交換品を取り寄せ続けて一年余りが過ぎ、予算も全て使い切った頃、
この不良品を直せる人物を呼んでみてはどうか、という提案が学校側からありました。
いきなりの提案にどうしようか迷いましたが、この渦中に偶然知り合った、トリニダード出身で
当時、宮崎県に住んでいたスティールパンプレイヤーMannishに相談した所、彼はDenzil"Dimes"Fernandezという腕利きのパンチューナーを私に紹介してくれました。
来日したDenzilは、すべての不良品を完璧にリチューンしてくれ、ほどなくこの問題は
解決することが出来ました。
その見事な仕事ぶりに感動した私は、迷わず彼に師事することを決めました。
自宅の玄関の上り框を取り外して作業場に変え、彼からスティールパンの作り方を一から
本格的に学ぶことになリました。
以降、千葉(八千代)〜 神奈川(藤沢、相模原)と工房を移転し、2008年からは
東京都大田区(工業専域)に拠点を構えて、スティールパン製作販売/修理業を続ける。
'99年 '05年、香港の私立小学校(何壽南小學)からの招聘を受け、スティールパンの
チューニングに赴く傍ら、現地のドラム缶を使ってスティールパンを製作する。
'02年、台湾の総合芸術大学(国立演藝院)からの招聘を受け、スティールパンの
チューニングに赴く傍ら、現地のドラム缶を使ってスティールパンを製作する。
'00年〜 茅ヶ崎の私立中学校(アレセイア湘南中学)の非常勤講師となり、
足掛け14年間に渡りスティールパン製作の授業(総合授業)を担当する。
'11年 大田の工匠100人に選出される〜 (関連本 : どっこい大田の工匠たち(現代書館)
2度目の転機 (Handpan)
2012年夏、広島大学総合科学部のS教授から突如一本の電話があり、鉄板を使用して
特定周波数の振動実験をしてくれないか、という研究依頼がありました。
手渡された設計図を見た時、私は少なからず驚愕しました。あろう事か、
それはハンドパンのフォルムに極似していたのです。
その日以降、大学機関から研究費を頂きつつ、ひたすら鉄板の振動実験をするという
日々を過ごす事になり、非整数倍音という未知なる世界にどっぷりと浸かることに
なりました。
時を同じくして、S教授が主宰する植物から生まれた音階を実現する楽器の
開発グループにも加わえて頂くことになりました。
以降、コアメンバーとして2022年現在も陰ながら携わっています。
(メンバーの中には、あの灰野敬二さんも)
この経験が大きな契機となり、2014年からはスティールパン製作販売業務は
完全廃業し、ハンドパン製作業へ完全にシフトして現在に至っています。