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Handpan Tuner : Ryo Sonobe / 園部良
端緒(Steelpan)
10代の終わり頃、ふとした出会いがきっかけで、当時はとても珍しかったスティールパンの
輸入レコードを聴く機会がありました。
スティールパン演奏には全く興味が湧きませんでしたが、その独特な鍋型形状と摩訶不思議な音の魅力に
心を奪われて製作をする方面には、かなりのワクワク感を抱きました。
渡航(Steelpan)
当時はネット環境が無い為、現地情報は皆無でしたが、'90年の夏、スティールパン発祥の島国
トリニダード&トバゴ共和国を訪れてみる事にしました。( '92年に再渡航)
現地では、製作方法を学びたい一心でひたすらパンチューナー(スティールパン製作人)の工房を
訪ね歩きました。
行く先々で何度も門前払いをされましたが、何とか、とあるパンチューナーの見習いにしてもらえることに
なり、一連の手ほどきを受けることが叶いました。
帰国後、日本製のドラム缶を使用して何度もスティールパン製作を試みたのですが、どうしても
思い描く様な音が出て来ませんでした。
思い悩んだ末、それならばと、現地で培った人脈を頼ってスティールパンの輸入販売業を始めてみては
どうだろうか、と思いつき'92年の暮れにスティールドラム専門店 "PAN RISING"を起業してみました。
転機(Steelpan)
'95年の春、とある高校の吹奏楽部から大量注文を受けたのですが、輸入したSteelpanのほとんどが
不良品でした。
交換品を現地に再注文するも、届く商品はこれまたひどい不良品という始末。
あらゆる方面から交換品を取り寄せ続けて一年余りが過ぎ、予算も全て使い切った頃、
この不良品を直せる人物を呼んでみてはどうか、という提案が学校側からありました。
思い悩みましたが、その渦中に偶然知り合っていた当時宮崎在住のスティールパンプレイヤーがDenzil"Dimes"Fernandezというパンチューナーを私に紹介してくれました。
Working Visaを申請して、Denzilさんを日本に招聘することになりました。
来日したDenzilは、すべての不良品を完璧にリチューンしてくれ、ほどなくこの問題は
解決することが出来ました。
その見事な仕事ぶりに感動した私は、迷わず彼に師事することを決めました。
自宅の玄関を作業場に変えて、彼からスティールパンの作り方を本格的に学ぶことになったのです。
以降、千葉〜神奈川と工房を移転し、2008年からは東京都大田区(工業専域)に拠点を構えて、
スティールパン製作販売/修理業を続ける。
'99年 '05年、香港の私立小学校(何壽南小學)からの招聘を受け、スティールパンのチューニングに
赴く傍ら、現地のドラム缶を使ってスティールパンを製作する。
'02年、台湾の総合芸術大学(国立演藝院)からの招聘を受け、スティールパンのチューニングに
赴く傍ら、現地のドラム缶を使ってスティールパンを製作する。
'00年〜 茅ヶ崎の私立中学校(アレセイア湘南中学)の非常勤講師となり、足掛け14年間に渡り
スティールパン製作の授業(総合授業)を担当する。
'11年 大田の工匠100人に選出される〜 関連本 どっこい大田の工匠たち(現代書館)
2度目の転機(Handpan)
2012年夏、広島大学総合科学部のS教授から突如一本の電話があり、特定周波数の振動実験をして欲しい、とiいう依頼がありました。
手渡された設計図を見た時、私は少なからず驚愕しました。あろう事か、それはハンドパンの構造に
極似していたのです。
その日以降からは、大学機関から研究費を頂きつつ、ひたすら鉄板の振動実験をするという日々を過ごす事に
なり、非整数倍音という未知なる世界にどっぷりと浸かることになりました。
時を同じくして、S教授が主宰する植物から生まれた音階を実現する楽器の開発グループにも加わえて
頂くことになりました。(以降、コアメンバーとして2022年現在も陰ながら携わっています。
メンバーの中には、あの灰野敬二さんも)
この経験がとても大きな契機となり、2014年からはスティールパン製作販売業務を完全廃業し、
ハンドパン製作業へ完全にシフトして現在に至っています。